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「環境思想」

 

経済学理論における「自然」の概念

ハンス・イムラー著『経済学は自然をどうとらえてきたか』農文協(1985=1993)参照。

・【「自然」概念は理論の外に置かれてきた】:「古典経済学においては、自然は概して独自の経済学カテゴリーとしては存在しない。人間の物象的環境はたんに前提されているにすぎず、それゆえ物象的環境はそれに固有の経済的ないし経済学的分析を必要としない。新古典派も、自然に対するこの基本姿勢を変えてはいない。」(4)

・「労働と自然の分裂が、工業的生産様式の経済理論を特徴づけている。経済理論の中では、自然はたんなる生産条件の意味しかもたず、それは最初から客体的なものである。工業的生産様式は自然を自らに従属させようとし、…自然の生産諸力を支配しようと試みる。工業的生産様式のもとでは、…自然は思うがままに自由になる労働対象であるように見える。」(5)

・「…問題は、生産と消費においては確実に全自然が利用されるのに、この自然の一部分しか社会的・経済的に評価されないということ、そしてこのことが、自然に関する理解とは何の関係もなく、逆に自然(physis)と著しい矛盾に陥るかもしれない選択基準によってなされている、ということである。…すなわち一方では、物象的な自然はすべての生命とすべての富の広大な源泉であり、他方では、労働は生命と進歩のこの源泉を根底から破壊しているように思われる。」(6)

・【交換社会の合理性vs自然維持の合理性】主流の経済学はこれまで、「交換経済」を対象にしてきたために、物象的な自然の全体性を質的に理解することができないでいる。交換価値経済の合理性は、価値というものを抽象的、無限定的に把握しようとするが、これに対して物的自然の理解は、具象的で質的な理解に頼らざるを得ない。(9-10)「社会の自然(physis)は個別化された市場過程に還元されないのであるから、究極的には市場社会と物象的生存とのあいだの秩序維持をめぐる衝突に至らざるを得ない。」(12)

→フィジオクラート(重農主義)の貢献:18世紀後半のフランスにおける、ケネー(Quesnay 1694-1774)を中心とした経済学の理論と思想は、一国の富の源泉を農業にあるとした。労働はいかなる価値も生まず、自然のみが価値の源泉であるとした。

 

 

人間中心主義VS生態中心主義

Timothy O’Riordan, Environmentalism, London: Pion, 1976, pp.1-19. ド・スタイガー著『環境保護主義の時代』多賀出版、23-24頁参照。)

・【人間中心主義】

1.      社会目標の感情的な評価よりも、むしろ、合理的かつ客観的な評価を支持する。

2.      最小限の努力で最大限の物的生産物を生み出そうとする。経営的、経済的効率性を奨励する。

3.      自然の過程を理解し制御する。人間の能力に信頼を寄せ、楽観的である。

4.      自然対して感嘆、畏敬の念、あるいは道徳的義務感など持たない。

・【生態中心主義】

1.      人間の欲求よりも、むしろ自然と生態の限界に基礎をおいた道徳的行動の規範を支持する。

2.      経済的進歩の追求に対して制約を課すことに賛成する。

3.      反主流的な見解を持っている少数派に対して、(多数決という)民主主義の原則を適用することを疑問視する。

4.      極端な環境劣化を正すための無政府状態(人間が介在する以前の均整の取れた自然状態)を奨励する。

 

 

ヘンリー・ソロー『ウォールデン:森の生活』

ソロー(1817-1862: 45歳で死去)18455月より二年と二ヶ月間、住んでいたコンコードの町(ボストン)から南へ一マイル半のウォールデン池のほとりで、自ら建てた小屋に暮らす。ソロー、28歳から30歳にかけての生活。アメリカ文学、環境思想の古典。

・〈訳者のことば〉:「彼は消極的に花鳥風月を楽しむ風流人ではなく、魚を釣り、水鳥を追いまわし、ウサギやリスに餌をやるマメな人間である。また湖水に測鉛を投じ、氷の厚さに物差しをあて、携帯望遠鏡で動物の瞬時的生態を捉えんとする科学者でもある。特に珍重すべきは彼が風景や動植物についてもつ異常に鋭敏な誌的感受性と表現力である。」(4

 

・【労働者と学生】:「じっさい労働する人間は、毎日真の独立のための閑暇をもたない」(21)「人間にとって必要ないかなる労働をも全面的に避けることによって、ほしくてたまらない閑暇と静けさとをかち獲た学生は、それのみが閑暇を有効なものにすることのできる経験を自分自身からあざむき奪うのであって、不名誉な無益な閑暇を手に入れるにすぎない。」(76)

・【質素に勉強すること】:「勉強する人間には燈火、文房具、二、三の書物を手許におくことが必要に近くなるが、それらはすべて些細な代価で得られる。しかるに、ある賢くない人々は、生きんがために――すなわち快適にあたたかくあらんがために、…十年も二十年も商売のために身をささげる。…/大部分の贅沢は、そして多くのいわゆる人生の慰安物は、人類の向上にとって不可欠でないばかりでなく、積極的な妨害物である。贅沢と慰安に関しては、最も賢い人々はつねに貧乏人よりももっと簡素で貧しい生き方をしてきた。」(31) 「彼が生活に必要な、そういったものを手に入れたのちには、余分なものを持つこととは別の一方法がある。そしてそれは、彼の賤しい労働からの休暇がはじまったのだから、いまや人生に対して冒険することである。」(33)「わたくしは五年以上にわたってこのように私の手の労働によって自らを支持してきた。そして一年に約六週間はたらくことによって生活のすべての費用を弁ずることができるのを発見した。わたしの冬じゅうとそして夏の大部分をわたしは勉学のために自由にそっくりもっていた。」(98)「わたしにはわたしの好みがあり、またとくにわたしの自由を大切にしたので、切りつめた生活をしてしかも悠々とした気持ちでいられた」(99-100)

・【哲人の生活】:「われわれが自発的貧乏と呼ぶべきである有利の地点からして以外には、何ぴとも人間の生活の公平もしくは賢明な観察者であることはできない。…今日この頃では哲学の教授はいるけれど哲人はいない。しかし、かつては哲学を生きることが敬服すべきことであったがゆえに、それを教授することも敬服すべきことである。哲人たることは単に精妙な思想をもつことだけでなく、また一派を創めることでさえなく、知恵を愛するあまりに、その指示にしたがって単純と独立と寛大と信頼との生活を生きることである。」(32)

・【自己規律】:「どんな天候においても、夜昼どの時刻においても、わたくしは刹那刹那を改善しようと熱中し、またそれを私の心覚えのための棒切れに刻みつけようとした。」(34)「日の出や夜明けをだけでなく、できることなら、自然そのものをさえ先回りする! 夏また冬、どんなに多くの朝を隣人が誰一人としてその仕事に取り掛からないうちに、私は自分の仕事にかかったことか!(35)「わたくしはつねに厳格な実務的習慣を獲得しようと試みた。」(38)「俗衆がそんなにせっせと追い求める流行を作り出すのは贅沢で放蕩な人間である。」(58)

・【賢い野蛮人】:文明人は「その生涯の大部分を単に低級な必要物と安楽とを得ることに汲々(きゅうきゅう)としている」(55)。「この町の近辺のごときでは板や屋根板、石灰や煉瓦などは…安価であり手に入りやすい。…ちょっと頭を働かせさえすれば、われわれは現今見られる最も富んでいる者より富み、われわれの文明を祝福とすることができるようにこれらの材料を用いうるはずだ。文明人とは、より多い経験をもち、より賢い野蛮人である。」(63)「もし人間が『春のうちの春』の力が自分たちを呼び覚ますのを感じたならば、かれらは必ずや立ち上がってもっと高くもっと霊的な生き方を始めないわけにはいかないだろう。」(64)

 

◆自然との交流(ある一節より)

・「アメンボとミズスマシは厳しい霜が結ぶ十月の終わりになるととうとう消えうせる。その頃、そして十一月にはたいがい、おだやかな日には水面を波だたせる何物もない。ある十一月の午後、数日続いた吹き降りの後のしずもりに、空はまだまったく雲でおおわれ大気に霧がみちているとき、わたしは池がおどろくほど澄んで、その水面を見分けることがむずかしいほどなのを見た。それはぐるりの丘の、十月の華やかな色ではなく十一月の沈んだ色を映していたが。わたしはできるだけ静かにその上を渡っていたのだが、わたしのボートがたてるかすかな波動はほとんど、ちょっと離れたあそこここにかすかなきらめきが見えて、霜をまぬがれたアメンボが寄りあつまっているのか、それともことによると、水面があまりに澄んでいるので池の底から水が沸いているところを顕しているのか、とも思われた。そういう場所の一つに舵をしずかに動かして近よってみると、おどろいたことに、わたしはおよそ五インチばかりの何万という小さなパーチにとりまかれ、緑色の水のなかには濃い青銅色のそれらの魚がむれ遊び、絶えまなく表面に浮かんで水をくぼませ、時にはそのうえに泡をのこしているのであった。そのように透明で、底がないような、雲を写している水のなかで、わたしは風船に乗って空中をただよっているような気分になり、それらの魚のおよいでいるのが空を飛びさまよっているような感じがした。それらはわたしより低い位置で右や左に飛んでいる密集した鳥のむれのようであり、そのひれはからだのぐるりに張られた帆とも見えるのであった。」(243-244)

 

◆森の生活の目的

・「われわれは再び目ざめ、いつまでも目ざめてあることを学ばねばならぬ。器械的な手段によってではなく、どんなにぐっすり寝入っているときでもわれわれを見捨てない曙を無限に期待することによって。人間が意識的の努力によって自分の生活を高めることができるという疑う余地のない能力ほど心強い事実をわたしは知らない。ある画を描き、一つの彫像を刻み、かくして二、三の美しい作品を作ることができるというのは何事かである。しかしわれわれがそれを通じて物を見る雰囲気そのもの、媒介体そのものを刻みそして描くことはそれよりはるかに光栄あることであり、それはわれわれが道徳的に能くすることである。一日の本質に作用を加えること――それは最高の芸術である。すべての人は自分の生活その細部にいたるまで、彼の最も高まり緊張したときの観照に値するものにする任務を負うている。…/わたしが森に往ったわけは、わたしが慎重に生きようと欲し、人生の根本的な事実にのみ対面し、それが教えようともっているものを私がまなぶことができないものかどうかを知ろうと欲し、わたしがいよいよ死ぬときに、自分は生きなかったということを発見することがないように欲したからである。わたしは人生でないものを生きることを欲しなかった。生きるとはそれほど大切だったから。さりとてわたしは万やむをえないかぎりは諦めをもちいることを欲しなかった。わたしは深く生き、人生のすべての精髄を吸い出し、人生でないすべてのものを追いちらすに足るほどたくましくスパルタのように生き、草を刈り幅広く、また根もとまで刈り取り、人生を追いつめて、それをギリギリの本質に煎じつめ、そしてもしそれがつまらないものであるとわかったら、その全体のありさまのつまらなさをつきとめ、そのつまらなさを世の人に広く知らせよう――また、もしそれがけだかいものなら、それを身をもってあじわい、次の世でそれを真実に報告できるようにしたい、と欲したのだ。」(124-125)

 

◆自然・生命・孤独

・「『自然』のただなかに住み、まだ感覚を失っていない人間にとっては非常に暗い憂鬱症はありえない。どんな嵐でも健康で無邪気な耳にとってはアイオロス風神の音楽でないものはない。何物も純真で勇気のある人間を低俗な悲哀に強いて引き入れる権利はもちえない。」(173)「あなたはいちばん何に近く住みたいとお思いですか?たしかにそれは、多くの人の近く、ではなく、…われわれの生命の永遠の源泉に近く、でしょう。」(175)「思念によってわれわれは、正気な意味でわれわれ自身から抜け出ることができる。心の意識的努力によってわれわれは行動とその結果から超然と立つことができる。…われわれは全面的に自然のなかに巻き込まれはしない。」(177)「わたしは、大部分のときを孤独ですごすのが健全なことであるということを知っている。最も善い人とでもいっしょにいるとやがて退屈になり散漫になる。わたしは独りでいることを愛する。」(178)「自然の言い表わしがたい無邪気さと恩恵――太陽、風、雨、夏、冬のそれ。かれらはあのような健康、あのような喜びを永遠に与えてくれる!…わたくしは大地と交流しないでいられようか。そして私自身もある程度まで木の葉であり腐植土ではなかろうか?/われわれを健康に明朗に満ち足りて保つ丸薬は何であろうか?わたしの、あるいはあなたの曾祖父さんのそれではなくて、われわれの曾祖母さんである自然の宇宙的・植物的・植物学的薬剤である。…私の万能薬としては、…いかさま薬のビンの代わりに、生一本(きいっぽん)の朝の空気が飲みたい。朝の空気!」(181-182)

 

学んだこと、伝えたいこと

・「わたしはわたしの実験によって少なくともこういうことを学んだ――もし人が自分の夢の方向に自信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようとつとめるならば、彼は平生には予想できなかったほどの成功に出あうであろう。彼は何物かを置き去りにし、眼に見えない境界線を越えるであろう。新しい、普遍的な、より自由な法則が、彼の周囲と彼の内に確立されはじめるであろう。あるいは古い法則が拡大され、より自由な意味において彼の有利に解釈され、彼は存在のより高い秩序の認可をもって生きるであろう。彼が生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え、孤独は孤独でなく、貧困は貧困でなく、弱さは弱さでなくなるであろう。もし君が空中の楼閣を築いたとしても、君の仕事は失敗するとはかぎらない。楼閣はそこにあるべきものなのだ。今度は土台をその下に挿しこめばよい。」(398)

・「君の生活がいかに賤しくてもそれにまともにぶつかり、それを生きよ。それを避けたり、悪口いったりするな。…貧しくとも君の生活を愛したまえ。君はたぶん救貧院においてさえ、何か愉しく、心を躍らす、かがやかしいときをもつことであろう。入日(いりひ)は富んだ人の邸宅からと同じく、かがやかしく養育院の窓からも反映される。春になればその戸口の前の雪は同じく早く溶ける。悠々たる心はそこにおいても宮殿におけると同じく満足して生き、同じく愉快な思いをもつことができないという理由はあるまい。町の窮民は往々にしていちばん独立的な生活をしていると私は思う。…賢人らしく、菜園の野菜のように君の貧困をたがやせ。衣服でも友人でも新しいものを手に入れようとあせるな。古いものに向かえ、それに戻れ。事物は変わらない、変わるのはわれわれだ。君の着物を売りとばせ、そして君の思想をとって置きたまえ。神は君が交友に不自由しないように取り計らうだろう。もしわたしが蜘蛛のように終日屋根裏部屋の一隅に閉じ込められるとしても、わたしの思想さえ失わなければ世界はすこしもその広さを減じはしない。…人は貧しさによって活動範囲を局限されれば――たとえば書物や新聞が買えないというように――それは最も意義ふかい重要な経験にかぎられることにすぎない。…彼はむだな暮らしをすることからふせがれる。低い水準に身をおいても高い水準の精神生活をもつことによって何ぴとも損をすることはない。余分な富は余分なものをしか買うことができない。金銭は魂の一つの必要物を買うにも入用でない。」(403-404)

 

 

レイチェル・カーソン『沈黙の春』(1962)

・レイチェル・カーソン(1907-1964):ペンシルベニア女子大学で動物学を専攻。1936-1952年、商務省漁業水産局を経て内務省魚類野生生物局へ。主に政府刊行物の編集や情報収集に従事。『沈黙の春』は7ヶ月で50万部のベストセラー。乳がんで死去(56歳)。

・「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭のえさ箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春が来たが、沈黙の春だった。」(12)「アメリカでは、春がきても自然は黙りこくっている。そんな町や村がいっぱいある。いったいなぜなのか。」(13)

 

・【例1:ブユの退治】カリフォルニア州の山中にあるクリア湖では、釣りに来る人たちや湖畔の別荘地の人々を小さなブユが悩ませていた。ブユは蚊に似ているが、しかし血を吸わない。単に数が多くで邪魔であったという理由から、1949年からDDDという薬品を散布する。化学薬品の量が湖水の量の七千万分の一になるようにした。1954年には五千万分の一。ブユはほとんど全滅したと思われた。しかし冬になって、カイツブリという水鳥が死に始めた。カイツブリの脂肪組織には、異常に濃縮されたDDDが検出された。湖水からはDDDはほとんど検出されなかったが、それは生物の体内に移っていたのであった。カイツブリは、1,000つがい以上いたのに、1960年には三十つがいになってしまった。(61-64)

・【例2:ニレの木】ミシガン州立大学周辺のコマドリの個体数は、1954年には数百羽いたが、1957年までにほとんどいなくなった。調査によれば、ニレの木の害虫ニレノキクイムシを防除するために、殺虫剤としてDDTが使われた。するとDDTがニレの木の葉に蓄積され、それが枯れ葉となって地面に落ち、土の一部となり、それをさらにミミズが食べ、このミミズをコマドリが食べるという連鎖が起きる。コマドリは、ミミズを毎日何十匹も食べるので、その害毒が致死量に至るというわけである。またDDTによってニレの木も枯れてしまう、ということが起きた。こうしたことが全米の各地で見られた。(127-143)

 

◆化学薬品の威力

・「畑、森林、庭園に撒き散らされた化学薬品は、放射能と同じようにいつまでも消え去らず、やがて生物の体内に入って、中毒と死の連鎖をひき起こしてゆく。…土壌深く染み込んだ化学薬品は地下水によって遠く運ばれてゆき、やがて地表に姿をあらわすと、空気と日光の作用をうけ、新しく姿を変えて、植物を滅ぼし、家畜を病気にし、きれいな水と思って使っている人間のからだを知らぬまにむしばむ。」(14)それは「自分のことしか考えないで、がむしゃらに先をいそぐ人間のせいなのだ。」(15)

・「合衆国だけでも、毎年五百もの新薬がちまたにあふれ出る。実にたいへんな数であって、その組み合わせの結果がどうなるか、なんとも予測しがたい。…その大部分は、〈自然と人間との戦い〉で使われる。虫や雑草やネズミなど――近代人が俗に言う〈邪魔者〉をやっつけるために、1945年前後から塩基性の化学薬品が二百あまりも作り出され、何百何千の勝手な名前をつけて売り出されている。」(15)「それは第二次世界大戦のおとし子だった。化学戦の研究を進めているうちに、殺虫力のある化学薬品がいろいろ見つかってきた。…もともと人間を殺そうと、いろいろな昆虫がひろく実験台に使われたためだった。」(26)

・「DDTは、1874年にドイツの化学者がはじめて合成したものだが、殺虫効果があると分かったのは、1939年のことである。たちまた、昆虫伝播疾病の撲滅、また作物の害虫退治に絶大な威力があるともてはやされ、発見者パウル・ミュラー(スイス)は、ノーベル賞をもらった。」(31)

 

 

◆自然の征服という殺戮

・「自然を征服するのだ、としゃにむに進んできた私たち人間、進んできたあとを振り返ってみれば、見るも無残な破壊のあとばかり。自分たちが住んでいるこの大地を壊しているだけではない。私たちの仲間――いっしょに暮らしているほかの生命にも、破壊の鉾先を向けてきた。過去二、三百年の歴史は、暗黒の数章そのもの。合衆国西部の高原では、野牛の殺戮、鳥を撃って市場に出す商売人が河口や海岸にすむ鳥を根絶に近いまで大虐殺し、オオシラサギをとりまくって羽を剥ぎ取った、など。そしていままた、新しいやり口を考え出しては、大破壊、大虐殺のあたらしい章を歴史に書き加えてゆく。あたり一面殺虫剤をばらまいて鳥を殺す、哺乳類を殺す、魚を殺す。そして野性の生命という生命を殺している。」(105)

 

◆自然の逆襲

・「自然は、大地にいろいろ変化を生み出してきたが、人間は、それを単純化することに熱をあげ、そのあげく、自然がそれまでいろんな種類の間に作り出してきた均衡やコントロールが破壊されてしまった。自然そのもののコントロールのおかげで、それぞれの種類には適当な生息地が与えられていた。だが、新しい農業形態がとられ、たとえば小麦ばかりが作られるようになると、まえにはいろんな作物があったために十分発生できなかった小麦の害虫は、思い切りふえてくる。」(20)

・「人間が使う化学薬品は、環境そのものに特有な防禦力、つまりさまざまな種のあいだにバランスを保っている防禦力を弱める、この防禦の壁に穴をあけるたびに、おびただしい虫の群れがあふれ出るということである。」(282-283)

・「昆虫防除に化学薬品を使い出してから、私たちは二つのきわめて重大なことを見落としていた。まず、人間ではなくて、自然そのものが行なうコントロールこそ、害虫防除と本当に効果があるということ。…〈ある種の昆虫がのさばりだし、自然に氾濫するのを防いでいる最も効果的な唯一の原因は、昆虫同士が殺しあって戦争をしていることになのである〉と、昆虫学者ロバート・メトカフは言う。…第二の点は、ひとたび環境抵抗が弱まると、ある種の昆虫は、爆発的な増殖力を示すということ。…愚かなことに、私たちは天敵を殺してみてはじめてそのありがたさに気づく。」(285,287)

 

◆近代人への警告

・「私たちの住んでいる地球は自分たち人間だけのものではない――この考えから出発する新しい、夢豊かな、創造的な努力には、〈自分たちの扱っている相手は、生命あるものなのだ〉という認識が終始光りかがやいている。生きている集団、押したり押し戻されたりする力関係、波のうねりのような高まりと引き――このような世界を私たちは相手にしている。昆虫と私たちの人間世界が納得しあい和解するのを望むならば、さまざまな生命力を無視することなく、うまく導いて、私たち人間に逆らわないようにするほかない。/人におくれをとるものかと、やたらに、毒薬をふりまいたあげく、現代人は根源的なものに思いをひそめることができなくなってしまった。…近代人は化学薬品を雨あられと生命あるものにあびせかけた。精緻でもろい生命も、また奇跡的に少しのことではへこたれず、もりかえしてきて、思いもよらぬ逆襲を試みる。生命にひそむ、この不思議な力など、化学薬品をふりまく人間は考えてもみない。〈高きに心を向けることなく自己満足におちいり〉、巨大な自然の力にへりくだることなく、ただ自然をもてあそんでいる。」(346)

・【オルターナティヴとなる技術】「昆虫の生命力を逆に利用して自己破壊の方向へもってゆこうとするもの」(324)。例:「フロリダ州農務省研究所で飼育し不妊化したアブは、19548月はじめ、空路でキュラソー島へと運ばれ、一マイル平方あたり四百匹の割合で一週間にわたって空から放たれた。すると、実験用のやぎに産みつけられていたたくさんの卵は、ほとんどいっせいに減少しはじめ、また残った卵もほとんど孵らなかった。…キュラソー島のアブは文字通り全滅した。」(326)

 

 

ケネス・ボールディング『経済学を超えて』(1968=1975)

・所収論文「来るべき宇宙船地球号の経済学」(1966)は、世界的な反響を呼んだ。

カウボーイ経済と宇宙人経済

「カウボーイ経済」とは、開いた社会のイメージであり、それは広大無辺な平原において、向こう見ずで開拓者的でロマンティックで荒々しい行動をする経済を表している。これに対して「宇宙人経済」とは、いかなる資源も有限であるような「一つの宇宙船」のイメージであり、そこにおいて人間は、「物質的形態の連続的な再生能力をもつ循環的な生態システムの中に、自分の場所を見出さなければならない。」(439) 

「カウボーイ経済」にあっては、大量の生産と消費はよいことである。経済の成功度は生産要素(インプット)から生産物(アウトプット)に至るまでの「スループット(通過物)」の量(浪費量)によって決まる。そこでは、材料を好きなだけ取ってきて放出物を好きなだけ捨てることができるような、無限の貯蔵所があると想定されている。

これに対して「宇宙人経済」では、スループットは最小化されなければならない。その「成功度を測る本質的な尺度は、生産でも消費でもなくて、このシステムのなかに含まれている人間の肉体や精神の状態を含めたような、総資本ストックの性質、範囲、品質、および複雑性である。」つまり「宇宙人経済」では、(1)「より少ない生産と消費」と、(2)生活の「多様性」が目指される。

(1)について、例えば「擦り切れることのない衣服や、減価することのない住宅」というものが持てるなら、経済は改善したことになる。「われわれの社会のような浪費的な社会においては、耐久性の増進から得られる利得は過小評価されているので、政府資金による研究開発を通じての、価格システムの補正が必要とされている」(445-446)

(2)について、例えば「食物の多様性、旅行の場合のような景色の多様性、社会的な接触の多様性」への要求は、費用のかかるものである。「われわれが一定不変の状態の維持を望んでいないことは、確実である。状態の変動を欲するのである。」(441)→しかしボールディングは、解決策について述べていない。

 

◆子孫の未来の割引について

・問い:「子孫を犠牲にして現在の世代の厚生を最大にしてどうしていけないのか。」(442)

・「自分自身の未来を割り引くとすれば、子孫の未来をさらに多く割り引くことが不穏当とはいえないことは、確実である。たとえもしわれわれが子孫に投票権を与えるものとしても、そうである。もしこの割引率が年間五%であるとすれば、子孫の一票あるいは一ドルは、…ほんの百年もたてば…一ドルにつきわずか一セント半ばかりにすぎないものとなる。」(443)

 

 

ローマ・クラブ「人類の危機」レポート『成長の限界』(1972)

1968年、イタリアのローマで開かれた非公式の会議(アウレリオ・ペッチェイ博士の呼びかけによる)から始まったプロジェクトの成果。世界の人口、天然資源消費、環境劣化の将来を予測するコンピューター・モデルによって、「成長の限界」をシュミレーションした。その新しい成果として『限界を超えて』ダイヤモンド社(1992=1992)がある。

 

 

川上卓也『貧乏真髄』(2002)

・川上卓也(1974-)は工業高校を卒業して20代前半までは東京でサラリーマン生活をする。しかし退職した後に、茨城の田舎で貧乏生活を始める。「全日本貧乏協議会」を設立し、Web会報誌を発行している。(http://taku3.jh.net/binbo/)

 

◆貧乏くさくない貧乏

・「貧乏くさい人々のいちばん大きな特徴と言えば、個性を消費で作ろうとすることなのです。流行の服を身にまとったり、ブランドに過剰な反応を示し、それを手に入れ、身につけて歩いている自分に満足してしまう人なんていうのは、まさにこれに当てはまります。」(216)

・「本当の貧乏へと降りてしまうことで、楽しくやっていけないものだろうか。個を磨けないものだろうか――。」「貧乏へ自らの足で降りていくその一歩は、消費社会から抜け出す一歩でもあるのです。消費することは、自分が消費されてしまうことへと繋がります。消費社会に自分を消費させないという、もう一歩踏み込んだ強い意志が必要となるのです。/消費されない自己とは、消費しない自分でもあります。すなわち、消費は生きるために必要な最低限の衣食住にとどめることで、消失してしまう力も最小限にとどめることができるのです。残った力は、分散させるのではなく、一点に集中して放つ。貧乏とは、財力だけでなく、自分の持てるすべての力を、定められた方向へ集束させるための術なのです。/思想もなく、考えることを知らず、力を分散させ消失させるだけの貧乏くさい生活へと転がり落ちる人々。物でしか自分を表現できない、そして、そんなことを可能にしてくれる物質すら存在しなくなった今、彼らに創造力などありません。貧乏は、彼らには存在しない創造する力を養うことができます。/貧乏人には力があります。財力は乏しくとも、それを補うだけの自由な時間、自由な心、考える力、創造する力があります。」(236-237)

・「必死に稼ぐ必要のない暮らしは、なにしろ気楽です。しかしここで、その気楽さに溺れてしまいますと、やっぱり貧乏くさい生活に戻ってしまいますから注意せねばならないところなのです。/たしかに労働を減らすことは自由に繋がりますけれど、得られた自由は、決してなんでもありではありません。せっかく得た時間という力、心の自由も、使わずにいたのでは腐ってしまうだけです。貧乏が腐ると、結局、貧乏くさくなってしまうどころか駄目人間の烙印を押されてしまいます。」(241)

 

 

辻信一『スロー・イズ・ビューティフル』(2001)

・辻信一(1952-)、明治学院大学助教授、文化人類学専攻。1999年、環境=文化運動「ナマケモノ倶楽部」(http://www.sloth.gr.jp/)を設立。

 

◆「遅さ」の肯定

・「成長、景気、GDP、競争、大量生産、大量消費、大量廃棄、開発、科学技術、IT、遺伝工学。思えば、これらを合い言葉とするぼくたちの社会は、実はぼくたちの身体性や日常生活や文化をめぐる夥しい数の否定形によってこそ可能になったのです。それまでのぼくたちの慎ましやかな経済は、生業は、生活の技術は、伝統的な知恵は、食生活は、人と自然とのつながりは、人と人との結びつきは、愛は、美意識は、身体性は、あまりにもスローなものとして否定され、卑下されて、いわばそれらの残骸の上に、『豊かな社会』という名の怪物は栄えました。今、その怪物はさらに巨大化、加速化し、グローバリズムとなって世界を席巻しています。」(11)

・「伝統社会における生活の技術の歴史というものは、何百年、何千年というスローな試行錯誤のプロセスの中でゆっくりと慎重に磨き上げられたもの。その遅さとは文化の本質に根ざす遅さだ。」(240)

 

・  なぜわれわれは、じぶんのでない

   人生を忙しく生きなければならないのか?

 

   ゆっくりと生きなくてはいけない。

   空が言った。木が言った。風も言った。

                   (長田弘「人命の短さとゆたかさ」より)

 

・【多田道太郎『怠惰の思想』より江戸の小話】

年寄「いい若者がなんだ。起きて働いたらどうだ」

若者「働くとどうなるのですか」

年寄「働けばお金がもらえるじゃないか」

若者「お金がもらえるとどうなるんですか」

年寄「金持ちになれるじゃないか」

若者「金持ちになるとどうなるんですか」

年寄「金持ちになれば、寝て暮らせるじゃないか」

若者「はあ、もう寝て暮らしています」

 

 

中野孝次『清貧の思想』(1992)

・中野孝次(1925-):ドイツ文学翻訳、日本文学批評、小説、エッセイなど幅広く活躍。本書はバブル崩壊後にベストセラーとなった。本書では日本における清貧の思想として、西行、芭蕉、吉田兼好、本阿弥光悦、道元など、さまざまな人物の思想が紹介されている。中野によれば、こうした日本の芸術家・宗教家たちが目指した生活の思想は、エーリッヒ・フロムのいう「『在ること』を重視する新しい人間のタイプ」に合致するという。それは以下のような特徴を持つとされる。(194-195)

 

1.十全に在るために、あらゆる持つ形態を進んで放棄しようとする意志。

2.安心感、同一性の感覚、自信。それらの基礎は自分の在る姿であり、結びつき、関心、愛、周りの世界との連帯への要求であって、世界を持ち、所有し、支配し、ひいては自分の所有物の奴隷になろうとする欲求ではない。

3.自分以外のいかなる人間も物も、人生に意味を与えることはなく、このラディカルな独立と、物に執着しないことが、思いやりと分かち合いに専心する最も十全な能動性の条件になりうる、という事実の容認。

4.自分が今ある所に十全に存在すること。

5.貯蓄し搾取することからではなく、分かち合うことから来る喜び。

6.生命のあらゆる現われへの愛と尊敬。それは物や力やすべての死せるものではなく、生命とその成長に関係するすべてのものが神聖である、という知識の中に見られる。

……

16.自分を知っていること。自分が知っている事故だけでなく、自分の知らない自己をも(知っていること。)

17.自分がすべての生命と一体であることを知り、その結果、自然を征服し、従え、搾取し、略奪し、破壊するという目標を捨て、むしろ自然を理解し、自然と協力するように努めること。

……(E.フロム『生きるということ』より)

 

 

ディープ・エコロジーの思想

1984年に、アルネ・ネスとジョージ・セッションズの二人がまとめあげた「ディープ・エコロジー運動」の原則。アラン・ドレグレン、井上有一共編『ディープ・エコロジー 生き方から考える環境の思想』昭和堂2001所収。本書はこの運動に関する重要な諸論文を集めたアンソロジーである。

 

◆エコロジー運動の基本原則

1.地球上の人間とそれ以外の生命が幸福にまた健全に生きることは、それ自体の価値(本質的な価値)、あるいは内在的な固有の価値といってもよい)を持つ。これらの価値は、人間以外のものが人間にとってどれだけ有用化という価値(使用価値)とは関係のないものである。

2.生命が豊かに多様なかたちで存在することは、第一原則の価値の実現に貢献する。また、それ自体価値を持つことである。

3.人間は、不可欠の必要を満たすため以外に、この生命の豊かさや多様性を損なう権利を持たない。

4.人間が豊かにまた健全に生き、文化が発展することは、人口の大幅な減少と矛盾するものではない。一方、人間以外の生物が豊かに健全に生きるためには、人間の数が大幅に減ることが必要になる。

5.自然界への人間の介入は、今日過剰なものとなっており、さらに状況は急速に悪化しつつある。

6.それゆえ、経済的、技術的、思想的な基本構造に影響を及ぼすような政策変更が不可欠である。変革の結果生まれる状況は、今日とは深いレベルで異なるものになる必要がある。

7.思想上の変革は、物質的生活水準の不断の向上へのこだわりを捨て、生活の質の真の意味を理解する(内在的な固有の価値のなかで生きる)ことが、主な内容になる。「大きい」ことと「偉大な」こととの違いが深いところで認識される必要がある。

8.以上の七項目に合意する者は、必要な変革を実現するため、直接、間接に努力する義務を負う。(76)

 

◆ディープ・エコロジーの思想

(1) 人間は環境の中に個々独立して存在するのではなく、生命圏という本質的な関係性のなかで生きている。

(2) 原則として、「生命圏平等主義」の立場を取る。生物は、自らの生命維持のために、いくらかの殺害、搾取、抑圧を必要とするが、しかし人間中心主義に陥ることなく、すべての生物が「生き栄えるという等しく与えられた権利」をもつと考える。この観点から、人口密度や生息密度を考える。

(3) 多様性と共生という二つの原理に基づく。

(4) 反階級制度の姿勢をとる。

(5) 環境汚染や資源枯渇に対する闘いを支持する。

(6) 乱雑さとは区別された意味での複雑性を支持する。人間の場合、労働の断片化ではなく、共同的な分業をよしとする。

(7) 地域自治と分権化を支持する。(32-36)

 

◆エコロジカルな自己の実現

・人間は、自らの可能性に気づき、「自己実現」「自己成熟」によって、生のよろこびや意味を深めていく。エコロジカルな自己とは、自らのアイデンティティを周囲の自然環境と一体化させることである。(そしてその延長として、アイデンティティを地球大のコミュニティにまで拡張することが、潜在的に可能である。)こうした自己の成長と両立するような環境運動が目指されている。(46-48)